これからの設計

事務所の登録は五年ごとの更新。平成30年に開設してはじめての更新となりました。
この5年で状況はだいぶ変わってきていると感じています。
CGやBIMを勧められることも増えました。学生は最初からCGを扱い、学生のうちに一級建築士の資格を習得したりもできるようになりました。今後は仕事自体がチャットGPT的なものに奪われるのではないかという人もいます。
私は2000年(平成12年)にはじめて設計事務所に就職しましたが、PCの性能がまだまだでminiCADやJWCADでさえよくフリーズしてとても効率が悪かったと思います。

これだけ効率化した時代にでは一体何を考えて設計をするのか・・・
今のところチャットGPT的なものは、前川〇〇風とか吉村〇〇風とかいうのはすぐにつくってしまいそうだなと思っています。過去の人の意匠をまねて現代風にアレンジなんていうのもやってきそうです。コンクリートで安藤〇〇風というのもできてしまいそう。ゆくゆくは複数の作家のいいとこ取りなどもやってくるのでしょう。
周辺環境や施主の条件から最適解を導き出すというようなこともいずれしてくるでしょうか。

そう考えてくると、全く新しい概念をつくり出すことが重要なのではないかと思います。たとえば、チャットGPTに「脱nLDK」と入力してもまともな答えは返ってきません。世間ではなんとなく使われている場合もありますが、設計の世界ではまだはっきりとした理論も概念も構築されていないから、「脱」と「nLDK」の組み合わせでしか答えてこない。ただ学習能力はすごいと聞いているので、そのうち(私より先に?)解を示してくるかもしれないが。

世の中が変わろうと、今までにない建築をつくりだすことを目指してこつこつとやっていくことには変わりないと思っています。

建築を楽しむ 2

先日地元である静岡の建築を観て廻った。新旧取り混ぜておよそ30棟。新しい大きな体育館から築50年以上の住宅まで。内部は観られないものもあったが、とても勉強になった。

こちらは昨年できたばかりの静岡市歴史博物館。(設計:SANAA)
張り出した展望廊下からは富士山がきれいに見える。外部はガラスと金属のシャープな印象。1階は発掘された戦国時代の道と石垣の遺構が露出展示されている。遺構を含めた平屋部分には大屋根が架けられていて、正面に見えている四角い箱の部分(2、3階)は展示室になっている。
SANAAらしい美しい佇まいだが、特に平屋部分の大屋根が気になった。外からは薄く見える屋根だが、内部はかなりスパンのとんだダイナミックな構造をしている。しかも屋根全体に微妙なたわみのようなものがある。天井がかなり高い巨大な空間の中をガラス張りの心許ないスロープをゆるゆると歩いていると平衡感覚がおかしくなりそうだった。

こちらは実家の近くに建っている倉庫である。幼い頃から建っている記憶があるので40年以上経っているに違いない。こうした昭和40~50年代の名もない建築にはどこか哀愁がある。バブル期に比べて良質なコンクリートが使われていたという話もあるが、50年近くも残っているところをみると大事にされてきたのだと思う。塗装の塗り分けも潔いしかわいらしいし愛着がわく。改修したのかもしれないが、ブロンズ色のアルミ製の住宅用玄関引戸なんか「いさぎよさ」の局地ではないか。

こういうものを見せつけられるとデザインとはなんだろうといつも考える。

かつて師事した建築家は朽ちても美しいものをと言っていた。

ヴォーリズの設計から学ぶこと 

少し前まで設計仲間と研究をする会に参加していた。それぞれ自分が研究したいことを持ち寄って自分の考えを聞いてもらい、ご意見をいただくような会である。その研究の一部でアルコーブというものを取り上げた。およそ1間角(1.8m×1.8m)のくつろげる空間のことをアルコーブという。(「パタン・ランゲージ」C.アレグザンダー著、179アルコーブ参照。)

新旧様々な建築にこのアルコーブがあり、本や写真などを参考に空間構成や窓、天井、仕上、家具などの有り様を研究した。研究対象は住宅が多いのでなかなか現実の空間を体感できる機会は少ない。

先日静岡で建築を観て歩いたとき、素晴らしいアルコーブに出会った。旧マッケンジー邸の食堂の一角である。

南西に張り出したサンルームのような空間で、おだやかな日差しで満たされた安らぎの場といった趣がある。現在は展示室となっている食堂の一角を緩やかに分節し特化している。腰窓の高さはソファーの背もたれの高さからカーテンボックスの下まで。開放感がありながら品格の感じられる丁寧な設計だと思った。窓枠や中桟の寸法も美しい。影まで気をつかって設計しているのかと思うほど。

技術が発達するほど、薄く軽く透明にという方向に傾倒していく建築がある一方で、物質をしっかりとらえて質感、量感をあらわにしようとする建築もある。古い建築を見ると技術的な制約がありつつ「どう見せるか」ということに苦心している姿がある。今となってはいろいろな表現ができるわけだが、人の「居場所」というのは重すぎず軽すぎず、装飾しすぎず簡素になりすぎずというところにあるのではないかと考えている。

建築を楽しむ 1

先日友人達と静岡の建築巡りをした。静岡は私の郷里で実家もあるのだが、建築をじっくり観て回るというのは始めての経験だった。2泊3日の旅で新旧取り混ぜて30近くの建築を見た。残念ながら内部は観られないものもあったが、建築を堪能した旅になった。

心に残ったものをいくつか紹介したいと思う。

旧マッケンジー邸はW.M.ヴォーリズが設計した1940年竣工のスパニッシュスタイルの住宅である。マッケンジーはお茶の輸出振興に尽力した人物でぜんそくの持病があったため、海辺で富士山がみえるこの地を選んだとのこと。夫の死後も夫人エミリーはここに留まり社会福祉の向上に努め、静岡市の名誉市民第1号となった。

ヴォーリズの設計は素晴らしいところがたくさんあるが、この踊り場のベンチは特に素晴らしい居場所になっていた。天気がよかったこともあるが、2月末とは思えないほど窓から気持ちのよい陽光が差し込んで暖かく包まれるような空間であった。